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宋書隠逸伝中の陶淵明 |
宋書は南斉の沈約が著した六朝時代宋の正史である。斉の武帝に命ぜられて編纂を開始し、完成したのは梁の時代に入ってから、本紀10巻、列伝60巻、志30巻の計100巻からなる。そのうち列伝第53隠逸伝の部に、陶潜(陶淵明)の記事がある。 陶潛,字淵明,或雲淵明,字元亮,尋陽柴桑人也,曾祖侃,晉大司馬。 潛少有高趣,嘗著《五柳先生傳》以自況,曰: 陶潛,字は淵明,或は云う淵明,字は元亮と,尋陽柴桑の人也,曾祖侃は,晉の大司馬たり。潛少くして高趣あり,嘗て《五柳先生傳》を著し、以て自ら況す,曰く 先生不知何許人,不詳姓字,宅邊有五柳樹,因以為號焉。 韋ホ少言,不慕榮利。好讀書,不求甚解,毎有會意,欣然忘食。 性嗜酒,而家貧不能恆得。親舊知其如此,或置酒招之。 造飲輒盡,期在必醉,既醉而退,曾不吝情去留。 環堵蕭然,不蔽風日,短褐穿結,箪瓢屡空,晏如也。 嘗著文章自娯,頗示己志,忘懷得失,以此自終。 先生何許の人なるかを知らず、姓字を詳らかにせず,宅邊に五柳樹あり,因て以て號となす。韋ホにして言少なく,榮利を慕はず。讀書を好むも,甚しくは解するを求めず,意に會するある毎に,欣然として食を忘る。性酒を嗜む,家貧しくして恆には得る能はず。親舊其の此の如くなるを知り,或は置酒して之を招く。造り飲めば輒ち盡くし,期するところは必ず醉ふにあり,既に醉ひて退くに,曾て情を去留に吝さかにせず。環堵蕭然として,風日を蔽はず,短褐穿結し,箪瓢屡しば空しきも,晏如たり。嘗て文章を著はして自ら娯しみしみ,頗る己が志を示す,懷ひを得失に忘れ,此を以て自ら終る 其自序如此,時人謂之實録。親老家貧,起為州祭酒,不堪吏職, 少日,自解歸。州召主簿,不就。躬耕自資,遂抱羸疾, 複為鎮軍、建威參軍。謂親朋曰:「聊欲弦歌,以為三徑之資,可乎。 執事者聞之,以為彭澤令。公田悉令吏種述稲。 妻子固請種粳,乃使二頃五十畝述,五十畝種粳。 郡遣督郵至,縣吏白應束帶見之。潛歎曰: 「我不能為五斗米折腰向郷里小人。即日解印綬去職。 賦《歸去來》,其詞曰: その自序たること此の如し,時人之を實録といふ。親老いて家貧しく,起ちて州の祭酒となるも,吏職に堪えず,少日にして,自ら解いて歸る。州主簿に召すも,就かず。躬耕して自ら資す,遂に羸疾を抱き,複た鎮軍、建威參軍となる。親朋に謂ひて曰く:「聊か弦歌して,以て三徑之資と為さんと欲す,可なりや?」執事の者之を聞き,以て彭澤令と為す。公田悉く吏をし述稻を種えしむ。妻子固より粳を種えんことを請ふ,乃ち二頃五十畝をし述を種え,五十畝をして粳を種えしむ。郡督郵を遣はして至り,縣吏應に束帶して之に見えと白す。潛歎じて曰く:「我五斗米の為に腰を郷里の小人に向って折る能はず。」即日印綬を解いて職を去る。《歸去來》を賦,其詞に曰く 歸去來兮,園田荒蕪胡不歸。既自以心為形役,奚惆悵而獨悲。 悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。 舟遙遙以輕暢,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之希微。 乃瞻衡宇,載欣載奔。僮僕歡迎,稚子候門。三徑就荒,松菊猶存。 攜幼入室,有酒停尊。引壺觴而自酌,顧庭柯以怡顏。 倚南窗而寄傲,審容膝之易安。園日渉而成趣,門雖設而常關。 策扶老以流憩,時矯首而遐觀,雲無心以出岫,鳥倦飛而知還。 景翳翳其將入,撫孤松以盤桓。 歸去來兮,請息交而絶遊,世與我以相遺,複駕言兮焉求。 悦親戚之情話,樂琴書以消憂。農人告餘以上春,將有事於西疇。 或命巾車,或棹扁舟。既窈窕以窮壑,亦崎嶇而經丘。 木欣欣以向榮,泉涓涓而始流。善萬物之得時,感吾生之行休。 已矣乎,寓形宇内復幾時,奚不委心任去留,胡為遑遑欲何之。 富貴非吾願,帝郷不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘子。 登東皋以舒嘯,臨清流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命複奚疑。 義熙末,征著作佐郎,不就。江州刺史王弘欲識之,不能致也。 潛嘗往廬山,弘令潛故人龍通之齎酒具于半道栗裏要之。 潛有脚疾,使一門生二兒輿籃輿,既至,欣然便共飲酌,俄頃弘至, 亦無忤也。先是,顏延之為劉柳後軍功曹,在尋陽,與潛情款。 後為始安郡,經過,日日造潛,毎往必酣飲致醉。 臨去,留二萬錢與潛,潛悉送酒家,稍就取酒。 嘗九月九日無酒,出宅邊菊叢中坐久,弘送酒至,即便就酌,醉而後歸。 潛不解音聲,而畜素琴 一張,無弦,偶有酒適,輒撫弄以寄其意。 貴賤造之者,有酒輒設,潛若先醉,便語客:「我醉欲眠,卿可去。」 其真率如此。郡將候潛値其酒熟,取頭上葛巾漉酒,畢,還複著之。 義熙の末,征著作佐郎,就かず。江州刺史王弘之を識らんと欲するも,致す能はざる也。潛嘗て廬山に往く,弘潛の故人龍通之をして酒具を半道に齎せしめ、栗裏に之を要す。潛脚疾あり,一門生二兒をして籃輿を輿せしめ,既に至る,欣然として便ち共に飲酌す,俄頃にして弘至る,亦た忤ふなき也。先是,顏延之為劉柳後軍功曹,尋陽にあり,潛と情款す。後に始安郡と為り,經過す,日日潛に造り,往く毎に必ず酣飲して醉を致す。去るに臨んで,二萬錢を留めて潛に與,潛悉く酒家に送り,稍就して酒を取。嘗て九月九日酒無し,宅邊の菊叢中に出坐すること久し,弘の酒を送るに値ひ,即便ち酌に就き,醉ふて後に歸る。潛音聲を解せず,而して素琴一張を畜ふ,弦なし,酒の適するある毎に,輒ち撫弄して以て其意を寄す。貴賤の之に造る者,酒あらば輒ち設く,潛若し先に醉へば,便ち客に語る:「我醉ひて眠らんと欲す,卿去るべし。」其真率たること此の如し。郡將候値其酒熟,頭上の葛巾を取りて酒を漉す,畢,還複著之。 潛弱年薄官,不潔去就之跡。自以曾祖晉世宰輔,恥複屈身後代, 自高祖王業漸隆,不復肯仕。所著文章,皆題其年月,義熙以前, 則書晉氏年號;自永初以來,唯雲甲子而已。與子書以言其志,並為訓戒曰: 潛弱年薄官にして,去就之跡を潔しとせず。自ら曾祖の晉世宰輔たりしを以て,身を後代に屈するを恥ず,高祖より王業漸く隆たるも,復た肯へて仕へず。著す所の文章,皆其年月を題す,義熙以前は,則ち晉氏の年號を書;永初以來より,唯甲子をいふ而已。子に書を與へ、以て其志をいふ,並びに訓を為り戒しめて曰く: 天地賦命,有往必終,自古賢聖,誰能獨免。 子夏言曰:「死生有命,富貴在天。」 四友之人,親受音旨,發斯談者,豈非窮達不可妄求,壽夭永無外請故邪。 吾年過五十,而窮苦荼毒,家貧弊,東西遊走。 性剛才拙,與物多忤,自量為己,必貽俗患,便俛辭世,使汝幼而饑寒耳。 常感孺仲賢妻之言,敗絮自擁,何慚兒子。此既一事矣。 但恨鄰靡二仲,室無来婦,抱茲苦心,良獨罔罔。 少年來好書,偶愛韋ホ,開卷有得,便欣然忘食。 見樹木交陰,時鳥變聲,亦複歡爾有喜。嘗言五六月北窗下臥, 遇涼風暫至,自謂是羲皇上人。意淺識陋,日月遂往,緬求在昔,眇然如何。 疾患以來,漸就衰損,親舊不遺,毎以藥石見救,自恐大分將有限也。 恨汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免,念之在心, 若何可言。然雖不同生,當思四海皆弟兄之義。 鮑叔、敬仲,分財無猜;歸生、伍舉,班荊道舊,遂能以敗為成,因喪立功。 他人尚爾,況共父之人哉!潁川韓元長,漢末名士,身處卿佐,八十而終, 兄弟同居,至於沒齒。濟北氾稚春,晉時操行人也,七世同財,家人無怨色。 《詩》雲:「高山仰止,景行行止。」汝其慎哉!吾複何言。 又為《命子詩》以貽之曰: 又《命子詩》を為り、以て貽之を貽して曰く 悠悠我祖,爰自陶唐。茲為虞賓,暦世垂光。禦龍勤夏,豕韋翼商。 穆穆司徒,厥族以昌。紛紜戰國,漠漠衰周。鳳隱于林,幽人在丘。 逸蛟撓雲,奔鯨駭流。天集有漢,眷予罠侯。于赫罠侯,運當攀龍。 撫劍夙邁,顯茲武功。參誓山河,啓土開封。悠々丞相,允迪前蹤。 渾渾長源,蔚蔚洪柯。群川載導,衆條載羅。時有默語,運固隆迂。 在我中晉,業融長沙。桓桓長沙,伊勳伊コ。天子疇我,專征南國。 功遂辭歸,臨寵不惑。孰謂斯心,而可近得。肅矣我祖,慎終如始。 直方二台,惠和千里。於皇仁考,淡焉虚止。寄跡夙運,冥茲慍喜。 嗟餘寡陋,瞻望靡及。顧慚華鬢,負景只立。三千之罪,無後其急。 我誠念哉,呱聞爾泣。蔔雲嘉日,占爾良時。名爾曰儼,字爾求思。 温恭朝夕,念茲在茲。尚想孔及,庶其企而。事髏カ子,遽而求火。 凡百有心,奚待於我。既見其生,實欲其可。人亦有言,斯情無假。 日居月諸,漸免於孩。福不虚至,禍亦易來。夙興夜寐,願爾斯才。 爾之不才,亦已焉哉。 潛元嘉四年卒,時年六十三。 潛元嘉四年に卒す,時に年六十三。 沈約が列伝第53を書いたのは宋の時代の末だったと思われるから、陶淵明が死んでから50年も経っていない頃だった。だから人々の間には、陶淵明の記憶がまだ残っていたと思われる。 この伝は、五柳先生傳を陶淵明の自画像であるとし、陶淵明その人を、酒を愛し、田園を悠然と闊歩する者として捉えている。死後いくばくもなくして、人々の間に伝わった陶淵明のイメージを、そのまま採用したのではないか。 |
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