陶淵明の世界

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 桃花源記 :陶淵明のユートピア物語


陶淵明の作品「桃花源記」は中国の古代の詩人が描いたユートピア物語として、千数百年の長きにわたって人口に膾炙してきた。日本人にとっても親しみ深い作品である。そこに描かれた「桃源郷」は、理想の安楽世界を意味する東洋流の表現として、いまや世界的な規模で定着しているといえる。

ところでユートピアといえば、誰もがまずトーマス・モアを思い浮かべるであろう。

トーマス・モアのユートピアは「ノー・ホェア」つまりどこにもない土地という意味の、ギリシャ語に由来している。それはこの世には存在しない架空の土地であり、この世のアンチテーゼである。トーマス・モアはアンチテーゼを語ることによって、この世の矛盾と住みがたさを解き、そのことによってこの世の批判をなそうとした。

これに対して、陶淵明のユートピアは「桃源郷」つまり桃の花咲く水源の奥の密かな土地である。だからこの世とは別の世界ではなく、この世に対して入り口を開いている。だがそこに住む住民は、この世の束縛から解放された自由な生活を楽しんでいる。この世に連続しながら、しかもどこかで断絶している両義的な土地なのである。

陶淵明は、桃源郷を舞台に人間の究極の自由を描く事によって、モア同様この世の批判を行ったのではないか、そう筆者は解釈している。モアのように架空の土地を描かなかったのは、陶淵明の中にある儒教的な合理精神がそれを許さなかったからに他ならない。

儒教には「怪力乱神を語らず」という言葉がある。怪とは怪異、力とは超能力、乱とは無秩序、神とは鬼神すなわち亡霊の類である。これらを語らぬとは、人たるもの秩序を重んじ、空想や情念を排する姿勢をいう。中国のインテリは2000年以上にもわたって、このような合理的精神を以て自らを律してきた。陶淵明も基本的にはその例に漏れなかったのである。

こうしたことを踏まえたうえでこの作品を読むと、そこには儒教的合理精神が許すギリギリのフィクションの世界と、この世の秩序に対する強烈な批判が感じ取れる。


―桃花源記

  晉太元中,武陵人捕魚爲業,
  縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
  夾岸數百歩,中無雜樹。
  芳草鮮美,落英繽紛。
  漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
  林盡水源,便得一山。
  山有小口。髣髴若有光。便舎船從口入。

  晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業と爲せり,
  溪に縁ひて行き, 路の遠近を忘る,
  忽ち 桃花の林に逢ふ。
  岸を夾みて數百歩, 中に雜樹無し。
  芳草鮮美として,落英 繽紛たり。
  漁人甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
  林 水源に盡き, 便ち一山を得。
  山に小口有り。 髣髴として光有るが若し。
  便ち船を舎てて口從り入る。

晉の太元中というから陶淵明の生きていた時代、武陵すなわち陶淵明の住む場所から遠からぬところに、ある漁師が住んでいた。物語はこのように、淡々として始まる。そこには人を驚かすような奇妙な仕掛けはまったくない。

漁師は渓谷に沿って船を漕ぐうちに方向を見失い、やがて桃の木の林が現れるのを見た。林は両岸数百歩に渡って続き、雑樹がない。葉の色は鮮やかで、落下芬芬と乱れ飛んでいる。漁師は不思議な感に打たれ、船をこぎ続けて林を見極めようとした。すると水源のあたりで林は尽き、山がそびえているところに行き着いた。山には小さな入り口があって、奥から光がもれ出ている。漁師は船を捨てて、入り口から中のほうへと入っていった。

  初極狹,纔通人。
  復行數十歩,豁然開焉B
  土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
  阡陌交通,鷄犬相聞。
  其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
  黄髮垂髫,並怡然自樂。

  初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
  復た行くこと數十歩, 豁然として開焉B
  土地平曠として, 屋舍儼然たり, 良田美池桑竹の屬有り。
  阡陌交も通じ, 鷄犬相ひ聞ゆ。
  其の中に往來して種作するもの, 男女の衣著, 悉く外人の如し,
  黄髮 髫を垂るも, 並に怡然として自ら樂しむ。

入り口は初めは極めて狭く、わずかに人が通れるほどだったが、数十歩いくと、からりと開けた。眼前に広がった土地は広々としており、こざっぱりした家が並びたっている。良田、美池、桑竹の類があちこちにあり、あぜ道が縦横に通じている。そしてその中を、鶏や犬の鳴き声がのんびりと聞こえてくる。

この段は、漁師が始めて目にした桃源郷のイメージを描いている。何も不思議なことは描かれていない。桃源郷らしい長閑さは「鷄犬相ひ聞ゆ」という部分によく現れているが、これは老子の言葉「隣国相望み、鷄犬の声相ひ聞ゆ、民、老死に至るまで、相往来せず」よりとっている。

老子は理想郷のあり方を小国寡民に求め、その具体的な姿をこのような言葉で表したのであった。陶淵明の理想郷も、老子のイメージを引き継いでいることを物語っている。

このなかを行き交い、或は耕作する人々といえば、男女の衣服は(外の)普通の世界の人々に異ならない、また黄ばんだ髪の老人と髫を垂れた子どもたちはみな怡然として屈託なさそうである。

  見漁人,乃大驚,問所從來。
  具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
  村中聞有此人,咸來問訊。
  自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
  遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
  此人一一爲具言所聞,皆歎。
  餘人各復延至其家,皆出酒食。
  停數日,辭去。
  此中人語云:不足爲外人道也。

  漁人を見て, 乃ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。
  具に之に答ふれば, 便ち要(むか)へて家に還へる。
  酒を設け 鷄を殺して 食を作る。
  村中此の人有るを聞き, 咸な來りて問ひ訊ぬ。
  自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避れ,
  妻子邑人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは焉を出ず。
  遂ひに外人と間隔つ。 今は是れ何れの世なるかを問ふ,
  乃ち漢有るを知らず, 無論魏晉をや。
  此の人一一 爲に具に聞かるる所を言へば, 皆歎す。
  餘人各の復た延ゐて其の家に至り, 皆出でて酒食す。
  停ること數日にして, 辭去す。
  此の中の人語りて云く:外人の爲に道ふに足らざる也と。

住人の一人は漁師を見ると大いに驚き、どこから来たのかと聞いた。漁師がそれに応えると、一緒に家に連れて帰り、酒を設け、鶏をつぶしてもてなした。

村中の人々が漁師のことを聞きつけて集まってきた。そしてさまざまなことを問いただした後、自分らのことについても話し出した。

自分らは秦の時代に乱を逃れ、一族郎党を率いてこの地にやってきた。それ以来ここから外へ出たことがなく、外の世界とは断絶して暮らしてきた。今がどんな時代か知らぬという。かつて漢の時代があったことも知らなければ、魏や晉のこともさらさら知ることがない。漁師が聞かせてやると、みな一様に驚く次第であった。

他の住人たちもおのおの漁師を自分の家に招いてご馳走してくれた。かくてとどまること数日にして辞去した。

住人たちは、漁師に向かって、この土地のことは外の世界の人々に語らないほうがよいと忠告し、漁師を送り出した。

以上が桃源郷での漁師の見聞の一切である。ここでも不思議なことや、意外なことは何も描かれていない。普通の世界と断絶して、自若として暮らす人々の様子が伺われるのみである。

だが、その自若とした住人の姿こそが、古代の中国人にとっては望ましい理想世界のあり方だったのではないか。住人たちは権力によって税を取られたり、労役を課せられたりする恐れなく、自分らの意に従って悠然と暮らしている。この悠然自若がこの世のあり方に対する強烈なアンチテーゼになっているのである。

  既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
  及郡下,詣太守,説如此。
  太守即遣人隨其往,尋向所誌, 遂迷不復得路。
  南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
  未果,尋病終。後遂無問津者。

  既に出で, 其の船を得, 便ち 向の路に扶りて, 處處に之を誌す。
  郡下に及び, 太守に詣り, 此の如く説く。
  太守即ち人を遣りて其の往けるところに隨ひて,
  向に誌せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて復たとは路を得ず。
  南陽の劉子驥, 高尚の士也。
  之を聞き欣然として往くを規つ。
  未だ果たせずして, 尋で病に終る。 後遂に津を問ふ者無し。

漁師は外の世界に舞い戻り、船にたどり着くと、先に来た道に沿ってところどころ徴をつけた。再び来ることを期待してそうしたのである。

郡下に至ると太守に申し出、自分の体験したことを語った。太守は人を遣わして、漁師の足取りを探したが、先に徴をつけたところは見つからず、ついにその道を探し出すことはできなかった。

南陽の劉子驥という人は高尚の人物であったが、この話を聞いて喜び、自分こそがそれを探し出そうとした。しかし願いを成就できないまま病に倒れた。

それ以来、この道を探そうとするものは現れていない。

以上は、物語の後日談である。外の世界に侵入されることを嫌った住人たちに口封じをされたにかかわらず、漁師は太守に話してこの土地を外の世界に紹介しようとした。それに対して、桃源郷は道を閉ざして、来らんとするものを拒んだのである。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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