陶淵明の世界

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 陶淵明:答龍參軍(來會何れの年にか在らん)


王弘の部下に龍參軍という者があった。陶淵明は王弘を通じてこの人物とも親しくなったようだが、それは龍參軍が高潔の気風を持っていたからであろう。この人物が詩をたしなんだらしいことは、陶淵明の別の文から伺われる。

この詩は、龍參軍が江州での任務を追え、都へ帰るのに際して、別れを惜しんで作ったものである。答えるとあるから、?參軍のほうから先に別離の文を寄せてきたのかもしれない。

まず、序文から見ていこう。

  三復來況 欲罷不能   來況を三復し 罷めんと欲するも能はず
  自爾鄰曲 冬春再交   爾が鄰曲となりてより 冬春再び交はる
  欽然良對 忽成舊遊   欽然たる良對 忽ち舊遊と成らんとす
  俗談云 數面成親舊   俗談に云ふ 數面すれば親舊と成ると
  況情過此者乎       況んや情の此に過ぐる者をや
  人事好乖 便當語離   人事は好く乖く 便ち當に離を語るべし
  楊公所歎 豈惟常悲   楊公の歎ずる所 豈に惟に常の悲しみのみならんや
  吾抱疾多年 不復爲文 吾疾を抱くこと多年 復た文を爲らず
  本既不豐 復老病繼之 本既に豐ならず 復た老病之に繼ぐ
  輒依周禮往復之義   輒ち周禮往復之義に依り
  且爲別後相思之資   且つは別後相思之資と爲さん

あなたのお贈りくださった詩を何度も読み返しました。あなたとお近づきになってもう二年がたちますね。喜ばしい交わりを得て、たちまち旧友のように意気投合することができました。対面すれば親しくなると俗談にいいますが、私たちの友情はそれに過ぎるものがあります。

人の出会いに別れはつきもので、もう離別を語らなければならない時期になりました。分かれ道に遭遇して発したという楊朱の嘆きは尋常一様のものではなかったと、改めて実感されます。

私は数年来病気がちで、文をつくるのもままならず、身体が弱いので老病に苦しんでいます。ですが、礼記にある「礼は往来を尊ぶ」の言葉に従って、私からも一文をお贈りし、別れた後の思い出のよすがといたしましょう。

(來?:贈り物、鄰曲:隣人、?然:心から打ち解ける、良對:良い相手同士、楊公所歎:楊公は楊朱のこと、楊朱は分かれ道に突き当たるごとに運命を慮って声を上げてないたとされる、相思之資:相手を思いしのぶよすが)


答龍參軍

  相知何必舊  相知るは何ぞ必ずしも舊のみならん
  傾蓋定前言   蓋を傾けて前言を定む
  有客賞我趣  客有り 我が趣を賞し
  毎毎顧林園   毎毎 林園を顧る
  談諧無俗調  談諧ひて俗調無く
  所説聖人篇   説く所は聖人の篇
  或有數斗酒  或ひは數斗の酒有らば
  閑飮自歡然   閑飮して自づから歡然たり

気心が知り合う仲はなにも旧友に限ったことではありません、道ですれ違っただけで仲良くなることもあります、あなたは当地にやってくると私のことを認められ、常々たずねてくれるようになりました。

私たちは談笑する中にも俗に陥らず、話題は聖人のことでしたね、酒があれば互いに酌み交わし、よい気持ちになれたものです。

  我實幽居士  我は實に幽居の士
  無復東西縁   復た東西の縁無し
  物新人惟舊  物は新に人は惟れ舊
  弱亳多所宣   弱亳 宣ぶる所多し
  情通萬里外  情は萬里の外へ通じ
  形跡滯江山   形跡 江山に滯る
  君其愛體素  君 其れ體素を愛せよ
  來會在何年  來會 何れの年にか在らん

私は一人幽居する身で、世の中に知り合いはおりません、「物は新しいものがよく、人は旧い交わりがよい」といいますが、別れに臨んで筆にしたいことが次々と浮かんできます。

人間の情は万里を隔てていても通じ合うものです、たとえ山河に隔てられていても。是非お体を大事にしてください、再び合えるのはいつの日でしょうか。


答龍參軍という陶淵明の詩には、別れに臨んで別れ難きの情に苦しむ気持ちと、山河を隔てても気持ちが通じ合えるだろうという確信が歌われて、別離の詩としては、実に感慨深い作品となっている。



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