HOME|本館ブログ|東京を描く|水彩画|万葉集をよむ|フランス詩選|プロフィール|掲示板|サイトマップ |
故人賞我趣(陶淵明:飲酒其十四) |
故人賞我趣 故人 我が趣を賞し 挈壺相與至 壺を挈えて相與に至る 班荊坐松下 荊を班いて松下に坐し 數斟已復醉 數斟にして已に復た醉ふ 父老雜亂言 父老は雜亂して言ひ 觴酌失行次 觴酌 行次を失す 不覺知有我 我の有るを知るを覺えず 安知物爲貴 安んぞ知らん物の貴しと爲すを 悠悠迷所留 悠悠たるものは留まる所に迷ふも 酒中有深味 酒中に深味あり 知人たちは私の酒好きなのを知り、壺を携えてみなでやってきた、むしろをしいて松の下に坐し、数献を傾ければたちまちに酔う、老人たちの言葉は乱雑になり、杯が乱れ飛んで序列も何もなくなった 私も自分のことを忘れて飲む、なんで世間の価値などにかかわっていられようか、名利に走る者たちはこせこせと自分の地位にしがみついているが、酒中にこそ物事の本質が見えてくるのだ 知人友人たちとの楽しい酒宴の様子を歌ったものだろう。日本人は桜の木の下に筵を敷き、ドンちゃん騒ぎをするのが好きだが、陶淵明たちは松の木の下に筵を敷いた。 酔いが回るほどに、長幼の序も貴賎の別もなくなってくる。謹厳な老人までがへべれけになって下も回らない。かくいう自分も正体不覚になるまで酔っ払ってしまった、と楽しそうな口ぶりである。 「酒中に深味あり」とは「酒中に真あり」の陶淵明流の表現だろうか |
前へ|HOME|飲酒|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007 |