陶淵明の世界

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 蘇東坡、陶淵明に和す


北宋の大詩人蘇東坡は波乱に富んだ生涯を送った。若くして高級官吏となったが、政争に巻き込まれて何度も挫折し、左遷、下獄、追放を繰り返した挙句、晩年は南海の果ての海南島に流されている。

そんな蘇東坡が人生の先達として、また詩作の手本として仰いだのが陶淵明である。蘇東坡は陶淵明のようには役人生活を擲って隠棲するようなことはしなかったが、自身の挫折を陶淵明の不遇に重ねて、そこから生きる力を汲み取ったようだ。

蘇東坡は晩年にいたっていよいよ陶淵明に傾倒し、そのすべての詩に和することを試みている。「和」とは元となる詩に次韻することで、必ずしも模倣ではない。また詩の雰囲気も、元の詩に束縛されず、作者の創意を生かした新しい趣向のものである。

蘇東坡は陶淵明の大部分の詩に和した。その数は百余にのぼる。ここでは、「歸園田居五首」と「飲酒二十首」に和した作品の中から、二首を取り上げよう。


和陶歸園田其三

  新浴覺身輕  新浴 身の輕きを覺え
  新沐感髮稀  新沐 髮の稀なるを感ず
  風乎懸瀑下  懸瀑の下に風み
  卻行詠而歸  卻行 詠じて歸らん
  仰觀江搖山  仰いで觀れば江 山を搖らし
  俯見月在衣  俯して見れば月 衣に在り
  歩從父老語  歩して父老に從って語る
  有約吾敢違  有約り 吾敢へて違はんや

水を浴びれば身が軽くなったように覚えるが、髪が薄くなったこともまた感ぜられる。瀑布に打たれて涼み、ぶらぶらと歩き詩を吟じながら帰ろう。

仰ぎ見れば川の水には山が映って揺らめき、ふして見れば月が衣の間にある。老人とともに語り歩く、約束どおりまた来るつもりだ。


「和陶歸園田六首」は蘇東坡60歳の時、恵州にあっての作。引によれば、白水山の温泉で遊んだかえり、レイ枝浦というところで85歳の老人とであった。老人に歓待された蘇東坡は、レイ枝の実がなる頃また訪ねることを約して家に帰ったが、帰宅後横になっていると、息子が陶淵明の帰園田居を朗読しているのが聞こえてきた。そこで陶淵明の詩に和して老人との出会いを歌ったとある。

この詩の元になったのは、陶淵明の有名な詩である。

  種豆南山下,草盛豆苗稀。晨興理荒穢,帶月荷鋤歸。
  道狹草木長,夕露沾我衣。衣沾不足惜,但使願無違。


次は陶淵明の飲酒二十首に和した一連の作から

和陶飲酒其五

  小舟真一葉  小舟 真に一葉
  下有暗浪喧  下に暗浪の喧すしき有り
  夜棹醉中發  夜棹 醉中に發し
  不知枕几偏  知らず 枕几の偏するを
  天明問前路  天明 前路を問へば
  已度千重山  已に千重の山を度る
  嗟我亦何為  嗟 我 亦た何をか為さん
  此道常往還  此の道常に往還す
  未來寧早計  未來は寧ぞ早計ならん
  既往復何言  既往は復た何をか言はん  
    
私の乗る小船は一葉の如くに頼りがなく、船底には暗い波が音を立てている、夜酔って寝ている間に出発し、枕が揺れて崩れるのも気づかなかった

夜明けに道筋を聞くと、既にいくつもの山々を通り過ぎたということだ、自分は何をしているこだろう、ここは何度も通り過ぎたというのに

未来のことを思っても始まらず、過去を振り返ってもせんないことだ


「和飲酒二十首」は揚州の任にあった57歳ころの作品。詩中の末の対句は、帰去来辞にある「已往の諫めざるを悟り 來者の追ふ可きを知る」を意識したものだろう。

この詩の元になったのも、陶淵明の次の有名な詩である。


  結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。
  採菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,飛鳥相與還。
  此中有真意,欲辯已忘言。  



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