陶淵明の世界

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 榮木:陶淵明不惑の思い


元興三年歳次甲辰(404)、陶淵明は不惑の年を迎えた。母親の喪が明けたこの年、東晋の政情は激変する。国を乗っ取って新しい王朝を開いていた桓玄が劉裕によって打倒され、5月には追い詰められて殺されるのである。

陶淵明はこの年の後半、新たに権力を握った劉裕に招かれ、その陣中に仕官する。その仕官に先立った夏のある時期、陶淵明は不惑の年を迎えた感想を、一篇の詩にしている。「榮木」と題した四言詩である。その序にいう。

  榮木、念將老也。日月推遷、已復九夏。 總角聞道、白首無成。

  榮木は、將に老いんとするを念ふ也。日月推し遷り、已に復た九夏。
  總角にして道を聞くも、白首にして成る無し

榮木とは、名とは逆に老いていくさまを思って歌ったのである。歳月が過ぎて今年も夏になった。夏に咲くムクゲの花に時の速やかなるを感じたのだ。少年時代に進むべき道を探し始めたが、白髪のいまとなっても、まだ得るところがない。

(榮木はムクゲ、朝に開いて夕に散る、九夏は夏の90日間、總角は少年の髪型、髪を左右に分けて角型の髷にしたもの。)

序文では、ムクゲの移ろいやすいことに寄せて、人生の儚さを暗示し、続く本文においては、不惑になってもいまだ名を顕すことのできぬ己のふがいなさを歌う。


  采采榮木  采采たる榮木
  結根于茲   根を茲に結ぶ
  晨耀其華  晨には其の華を耀かすも
  夕已喪之   夕には已に之を喪ふ
  人生若寄  人生は寄の若く
  憔悴有時   憔悴すること時あり
  靜言孔念  靜かに言に孔だ念ひ
  中心悵而   中心 悵而たり

出だしの一節目では、ムクゲのように、人の一生も儚く、この世に一時的に寄寓するのと同じだと歌う。

(采采はいろどりの華やかなさま、寄は寄遇、孔は甚だ、悵而は悲しいさま、)

  采采榮木  采采たる榮木
  于茲托根   茲に根を托す
  繁華朝起  繁き華朝に起るも
  慨暮不存   暮には存せざるを慨く
  貞脆由人  貞と脆とは人に由り
  禍福無門   禍と福とは門無し
  匪道曷依  道に匪んば曷ぞ依らん
  匪善奚敦   善に匪んば奚ぞ敦くせん

二節目は、人生ははかないからこそ、道により、善を積むことの大事さを歌う。

(貞は正しく身を保つこと、脆はもろく崩れること、どちらに転ぶかはその人の生き方次第だ。)

  嗟予小子  嗟 予れ小子
  稟茲固陋   茲の固陋を稟く
  徂年既流  徂ける年既に流れ
  業不増舊   業は舊に増さず
  志彼不舍  彼の舍めざることに志し
  安此日富   此の日びに富むものに安んず
  我之懷矣  我れ之れ懷ふ
  怛焉内疚   怛焉として内に疚し

三節目では、少年の頃抱いた高い志に反して、不惑を迎えた今の自分は、ただ日々の安逸に溺れるのみだと嘆く。

(小子はつまらぬ男、固陋はかたくななこと、稟はさずかること、不舍は不断に努力すること、怛焉は傷つき痛むさま。)

  先師遺訓  先師 遺訓あり
  余豈云墜  余れ豈に云に墜さんや
  四十無聞  四十にして聞ゆる無くんば
  斯不足畏   斯れ畏るるに足らずと
  脂我名車  我が名車に脂さし
  策我名驥   我が名驥に策うたん
  千里雖遙   千里は遙かなりと雖も
  孰敢不至   孰か敢へて至らざらんや

最後に孔子の言葉を引き、四十にして名を著すことの出来ない者は、誰にも相手にされぬといい、遅まきながら勉励を誓って結びとしている。



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