陶淵明の世界

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 陶淵明:和郭主簿


隆安五年(401)11月、陶淵明は母が死んだために服喪生活に入った。当時、親が死ぬと三年の間、公職を辞して喪に服すのが原則であった。陶淵明は図らずして、田園での静かな生活を楽しむことができるようになったのである。

この年、桓玄は攻勢を強め、君側の奸臣を除くといって建康に攻め上った。そして翌元興元年〔402〕、政敵の劉牢之を自殺に追い込み、すべての実権を手中にした。

このように世間が慌しく動いている間、陶淵明はそうした騒ぎを超越して、静かな暮らしを送ることができた。これは、陶淵明にとっては幸福な偶然だったといえる。なぜなら、桓玄の権力もそう長くは続かず、陶淵明の服喪期間中に、劉牢之の部下劉裕によって打倒されてしまうからである。

「和郭主簿」は、このようなときに書かれた。二首からなり、一つは春を、一つは秋を歌っている。郭主簿については不詳。主簿は戸籍を司どる役職の名称である。

ここでは、一首目を取り上げよう。

  藹藹堂前林  藹藹たり堂前の林
  中夏貯清陰  中夏に清陰を貯ふ
  凱風因時來  凱風 時に因りて來り
  回飆開我襟  回飆 我が襟を開く
  息交遊閑業  交りを息めて閑業に遊び
  臥起弄書琴  臥起 書琴を弄す
  園蔬有餘滋  園蔬 餘滋有り
  舊穀猶貯今  舊穀 猶ほ今に貯ふ
  營己良有極  己を營むこと 良に極り有り
  過足非所欽  足るに過ぐるは欽ふ所に非ず

家の前の林は藹藹と繁茂し、夏の盛りでも涼しい日陰を作る、時に南風が吹き、つむじ風となって我が襟を開かせる、世間の交際を絶って、こうして気ままな生活をするようになり、日々書琴を弄している、畑の作物は十分に実り、穀物の蓄えもそこそこにある、生活するには不足はない、これ以上のことは求めるところではない(藹藹は繁茂するさま、中夏は旧暦5月。凱風は南風、回飆はつむじ風。營己は生活、有極は限度があること。)

  舂述作美酒  述を舂きて美酒を作り
  酒熟吾自斟  酒熟すれば 吾自ら斟む
  弱子戲我側  弱子 我が側に戲れ
  學語未成音  學を語ぶも未だ音を成さず
  此事真復樂  此の事 真に復た樂しく
  聊用忘華簪  聊かもって 華簪を忘る
  遙遙望白雲  遙遙として白雲を望めば
  懷古一何深  古を懷ふこと 一に何ぞ深き

述を舂いて酒を造り、熟すれば自ら飲む、子どもたちは傍らで戯れ、学問をするがまだ形をなさない、それでも楽しい思いでいっぱいで、年を取ることも忘れる、はるかに雲を望めば、古の様々なことが思い出されて、感慨深い気持ちになるのだ。(述は粟の一種、簪は冠を止めるためのかんざし、杜甫の詩「春望」にも出てくる。)

初夏の自然の中で田園の生活を楽しむ様子を描く。自ら粟の酒を作って飲み、まだ言葉もいえない子どもを脇に置いて楽しむ。こうしていれば、役人生活のことなどすっかり忘れ、悠然と自得した古人のことがしのばれると、今の満ち足りた生活を謳歌している。



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